Examples of using "Scholar" in a sentence and their japanese translations:
イギリス人学者の キャサリン・ブレイクニー博士によると
気取りのないその学者は皆に愛されていた。
太郎は学者で通っている。
- 彼は少しは学者らしいところがある。
- 彼はちょっとした学者である。
- 少しは学問ができる。
- 学者らしいところがある。
なかなかの学者だ。
その学者はライフワークを続けた。
彼女は学者でもあり詩人でもある。
彼は立派な古典学者です。
彼は立派な学者になるだろう。
彼は少しも学者ではない。
- 彼は少しは学者といえるのだろうか。
- 彼は少しでも学者と言えるだろうか。
- 彼は、すこしは学者らしいところがありますか。
- 少しは学者らしいところはあるのか。
- 彼は決して学者などではない。
- 彼が学者だなんてとんでもない。
彼は決して学者ではない。
彼はどの点からみても学者だ。
彼はたいした学者だ。
詩人でもありまた学者でもある人が死んだ。
どんな大学者でも、それは解けない。
その少年はまるで偉大な学者のようにはなしました。
その解釈は学者を待つまでもない。
彼らは彼を偉大な学者だと考えていた。
- 彼らは彼のことを優れた学者だと見なしていた。
- 彼らは彼のことを優れた学者だとみなしていた。
彼は根っからの学者だ。
彼は学者だと思われている。
彼はいわゆる学者である。
彼はいつも偉大な学者として通っている。
彼は、フランス史の学者だ。
あの学者は、科学的な大発見をした。
人びとは彼を偉大な科学者だと思った。
その学者は財政政策の権威である。
雄弁なその学者は快く討論に参加してくれた。
彼らは彼を大学者とみなした。
彼は学者というよりは教師だ。
彼は学者でなく作家だ。
彼はせいぜい二流の学者だ。
彼は、教師というよりむしろ学者である。
- 私たちは彼を学者としてたいしたものと思わない。
- 私たちは彼を学者としてたいした物とは思わない。
図書館はその学者を記念して建てられた。
偉大な学者が必ずしも良い先生であるとは限らない。
その学者は、いわゆる義務教育は役に立たないものだと考えている。
彼は優れた学者としてすべての人々に知られている。
彼は名前のみの学者で実のところそうではない。
彼は教師ではない、まして学者などではない。
彼はきわめてすぐれた学者だ。
昨日、私は空港で有名な学者に会った。
私たちはみな彼を立派な学者だと思った。
ジョーンズさんは偉大な学者として尊敬されています。
ジョンソン氏は学者でなくて詩人だ。
ある学者が人権についてすばらしい演説を行った。
彼女は優秀な学者であり、いたるところでそういう学者として認められている。
ブラウンは、作家というよりむしろ学者である。
- その男の子は、自分がまるで偉大な学者であるかのような話し方をする。
- その少年はまるで偉大な学者のような口振りだ。
- その学者は少しではあるが持っていた金を全部本につぎ込んだ。
- その学者はなけなしの金を全部本につぎこんだ。
その学者の話は聴く価値が大いにある。
彼は政治家というよりむしろ学者である。
彼は詩人であるうえに学者でもある。
彼は教師というよりはむしろ学者だ。
彼は学者というよりもむしろ詩人である。
彼はジャーナリストというよりはむしろ学者だ。
君の話から判断すると、彼は偉大な学者にちがいない。
偉大な学者ではあるが、彼は常識に欠けている。
もっとよい時代に生まれていたら、彼は大学者になっていただろう。
ベイカー先生は教師というよりはむしろ学者だ。
ベイカーさんは学者というよりはむしろ作家だ。
その学者は70才でライフワークを完成した。
彼は学者というよりもむしろ流行作家だ。
彼は学者というよりもむしろテレビタレントである。
彼は学者であり、そのように扱われるべきである。
彼はその大学者から学ぶ機会をすべて利用した。
谷氏は学者というよりはむしろジャーナリストだ。
彼女は優秀な学者であり、いたるところでそういう学者として認められている。
その英語学者は自分の意識不足を認識していない。
彼女は良い教師であるばかりでなく、偉大な学者でもあった。
- 彼は立派な学者であり、さらによいことにはよい教師である。
- 彼は立派な学者であってさらに良いのは教えるのもうまい。
彼は大政治家であるばかりでなく、さらに立派な学者でもある。
- 彼は学者と言うよりむしろ小説家であると思う。
- 彼は学者であるというよりもむしろ小説家であるとおもう。
彼は偉大な政治家であり、そのうえりっぱな学者でもある。
彼は偉大な学者ではあるが、いわゆる常識に欠けている。
彼は偉い学者で、さらによいことには、良い先生だ。